子供の命を粗末にする日本の風潮はどのようにして醸成されたか

1. 歌舞伎
 バブル直後くらいでしたか。川崎や都内勤務だったのと子供が生まれる前だったので国立劇場やら歌舞伎座に年に数回は行っていたのですよ。正統派の歌舞伎ファンじゃなくてあくまで軽佻浮薄なにわかファンとして。ジーンズとTシャツで。
 歌舞伎を見始めるとすぐに気付くのですが、「主君や主君の子供を守るために親が自分の子供を殺す」という演目の割合がとても多い。これはビックリするし薄気味悪いです。歌舞伎ができた江戸時代ってそんな時代だったんだろうか。

2. 実は演目がフィルターされてた
 それで歌舞伎の変遷などを調べてみるとすぐに分かるのですが、歌舞伎ってもともと「かぶく = 奇をてらう」ような演劇なので、不謹慎な話や、いやらしいネタなんかが多かったらしいですね。目に余るので女性と男性が同じ舞台で演じることを禁じられて、男が女形やってるくらいですから。

 それがなんで「主君のために子を殺す」みたいな建前バリバリの演目が多くなっちゃったかというと、第二次世界大戦の時に軍部に演目をフィルターされちゃったそうです。国のために命を捧げる、自分の命だけじゃなくて子供の命も投げ出して主君=国のために尽くす。そういう演題でなければ上演させなかった。そこでフィルターされていびつになったそうです。

 これは落語も同じで、不謹慎な演目は記録を消されたらしいですね。昔はビデオなんか残せないから、演目が廃れたらそこで消えてしまう。

3. 社会や企業のために命懸けで尽くす、が日本人の本質だったのか?
 特攻隊やら桜花やら回天で戦争してた時にはそれはもうそうやって世論ごと改造したのでしょうが、そういう滅私奉公、全体のためには個人の命も生活も放棄するなんていうのが日本人の本質的な性質だっていうのはどうも違うんじゃないかな。もっとね、自分にとって都合が悪ければ大きな会社も地域社会も潰しちまえ、っていうのが「かぶく」の精神なんじゃないかと思うんですけどね。

4. 311後の日本社会はそれとはちょと違うけれど
 311後も自分の子供に平気で東北の野菜やコメを食わせて「政府が大丈夫と言ってる」「東北を元気にする」みたいなことを言ってる親も多いけれど、もともとの全体主義思想に加えて、「自分は何も知らなかったことにして、責任は誰かに押し付ける」という態度が加わってもうひどいことになってますね。全体主義と個人の責任逃れが行き付く先がこの社会か、と思ってみています。(見てないで早く逃げなきゃいけないんですが)