著作権ビジネス - 紙媒体と音楽の違い。そして本丸のソフトウェア

 自炊代行業者の違法性の問題は、法の解釈やそれをどう運用していくかという当局の恣意的な面が大きいのですが、それとマーケットの動きは一致しません。

 自炊反対の著作権者の方は、自分の著作物を電子書籍にして著作権を守る方向になぜ向かわないのだろうか、という根源的な問題から書き始めてみます。

 自炊代行は、電子化=デジタル化を実行する業者の問題ですが、技術的に「簡単にできてしまう」作業です。1冊数百円で代行してくれますし、法的にも問題はない。ガードはかかっていないし、スキャナは1万円以下のプリンタにも「複合機」としてオマケでついています。

 これに対し、電子書籍は、ハードウェアも制限することでコピーを「簡単にはできない」作業にすることが可能です。電子書籍のほうが簡単に著作権者の権利を守れる。AmazonではKindleの本のほうが主流となりつつありますし、日本でも、携帯で読むマンガコンテンツは成功しています。ドコモ/au/ソフトバンクガラケーでしか読めないマンガはほぼ完全に著作権保護ができます。microSDにデータが入っていても、有効なSIMカードが携帯に刺さっていないと読めないのですから、microSDのコピーガードを外さないとコピーできません。これは素人がパソコンでできるものではない。


 つまり、今の紙媒体の著作物は、完全にDRM(著作権保護技術)で守れるし、著作権ビジネスも継続できるのです。

 これに対して、音楽は著作権ビジネスの継続に完全に失敗したように見受けられます。
 CDの売り上げ減に続いて、オンラインの音楽配信(iTunesなど)の売り上げも落ちてしまった。音楽はもう、「ただで配信される芸術」に移行しつつあります。

 たとえば、Jazzの名曲を聴きたい。どうしますか?CD買いますか?iTunesで探しますか。数年前ならiTunesでしたが、今はYouTubeで名演奏からアマチュアコピーバンドまでいろいろ聞けます。CDを、今の高校生は「マスター」と呼ぶとか。おそらく、彼らは音楽=無料と刷り込まれているでしょう。
 CCCDもありましたし、携帯の音楽配信も強固なDRMがありますが、そんなもの使わなくても音楽は楽しめるものになってしまったのです。

 「アマデウス」という映画で、モーツァルトのお父さんが家を訪ねてくる場面をご存知でしょうか。アマデウスは「レクイエム」を作曲しています。お父さんは怒って言います。「作曲などやめろ。作曲は金にならん。弟子をとってレッスンで稼ぐんだ」。ええ、レクイエムですよ。モーツァルトですよ。モーツァルトに向かって「作曲は金にならん」と言うのが当たり前の時代だったのです。

 音楽演奏の複製がレコードで可能になり、それがCDになり、ネット配信になりましたが、音楽は基本的にコピーできてしまうもの。楽譜も見ておぼえれば歌える演奏できるものなので、音楽は
 ・その場で演奏する
 ・教える
 この二つでしか、元来、儲けられない芸術なのではないかと思います。ライブ演奏はグレートフルデッドの発想。そして、一般の音楽家は、教えて儲けるものだと。現に、日本のJazzミュージシャンは相当の腕の方でも、レッスンが収入に占める割合は大きい。


 さて、著作権ビジネスというジャンルを考えると、書籍、音楽などというのは、比率が小さい。本丸は「コンピュータプログラム」です。

 ソフトウェアは買うもの→マイクロソフトとアップルまではこのビジネスで儲けてきました。Googleはサービスもソフトウェアも無料のビジネスです。根底には、オープンソースソフト、GNUの思想が流れています。そして、ソフトウェア開発に携わる人は、本当はどんどん少なくなってきている。
 たとえば、GoogleAndroidは無料で配布されるので、各携帯メーカーは開発する必要がありません。自社の携帯のハードウェアで動くように改造して、テストしておしまいです。(そこが大変なんですが)。ただし、基本的なソフトウェアは開発しなくてよいですし、アプリケーションも、Android Marketでたくさん配布されてしまっている。開発しなくていいんです。逆に言うと、ソフトウェアを開発して儲けるビジネスがシュリンクしている。Androidのアプリケーションは豆蔵の本を読んで、WindowsのPCを買えば誰でも作れてしまう。それなりの教育を受ければ。

 今後、「ソフトウェア産業」は「書籍、漫画」と「音楽」のどちらのモデルに進むのでしょう。今はハードウェアに付随する開発という著作権以前のビジネスや、パッケージソフトの販売という著作権ビジネスに依存していますが、その先、ハードウェアが統一されて技術的コピーが可能になった場合に、ガチガチの著作権保護をかけて(滅んだ)CCCDや、(成功したけどガラケーとともに滅びそうな)携帯マンガ配信の道を歩むのか。あるいはモーツァルトの時代のような、「その場でパフォーム(サービス)する」「作り方を教える」というビジネスが主流となるのか。

 日本のソフトウェア産業は、そんな考察をする段階ではなく、いまだ「人月単価商売」の時代にいるのですが、著作権を保護するビジネスの時代から、今後数十年かけて「その場パフォーム」「教える」というアマデウスの時代に移行することに賭けて商売を組み立てるソフトウェアビジネスが出てきてもよい。ギャンブルですが、ソフトウェア無償化の流れの先を行くチャンスではあると思います。