最近、いちばんおいしかったもの/男前豆腐店

1. 「おいしい」とは何か
 最近、「おいしい」と感じる能力がなくなってしまいました。
 味覚異常ではないんです。味は分かるし、仕方なく会社の食堂でスパゲッティを食べてしまうこともあるのですが、「ああ、きちんとした味付けで、昔はおいしいと感じていた味だろう」というのは分かるのです。

 しかし、味が複雑になればなるほど、「何が入ってるんだ?」という恐怖心が増えてしまいますし、食べる間にずっとそんなことを考えてるので「おいしい」なんて思いません。「おいしい味なのだろう」と思いつつ、いやいや食べてるだけなのです。

2. 男前豆腐店
 昨日、男前豆腐店の豆腐を食べてるときに、不意に「あれ。うまいじゃん」と久しぶりに思いました。初めて買ったときは、絹ごし豆腐がぐにゃぐにゃしてて気持ち悪いなと思ったのですが、思い起こすと豆腐なんてずっと食べていなかった。豆腐に慣れてない外人みたいなもんです。おいしさが分からない。そして、慣れてきたら不意に「おいしい」と感じたんです。

3. 信頼というもの
 男前豆腐店さん、ゲルマの放射線測定器買ったそうですね。
 批判も受けているようですが、なによりもその経営姿勢を僕らは見ているのです。お客さんに危険なものは売れない。経営が成り立つかどうか分からないけれど、できるところまでやってやる。
 その姿勢を信頼して食べるから、安心して「おいしい」という感情が戻ってきたのでしょう。そのおいしさの原因は、どこどこのうまい大豆を使っているとか、製法、鮮度、あるいは放射性物質の含有量でさえなくて、「男前豆腐店の豆腐なら、信頼して食べよう」という安心感、信頼、感情なのです。

4. 日本ブランド復活のカギ
 日本製品のブランド価値の多くの部分は、日本人の異常なまでの潔癖性が担っています。外出先で財布を落として、中の現金ごと財布が交番に届けれらて戻ってくる国というのは、世界中で日本くらいだと、イギリス人もアメリカ人も言います。その国の企業が、2010年までは黄色いドラム缶に入れて厳重に保管していたような放射性物質を食べろ食べろと宣伝する。食べるのを拒否するようなやつは異常者であると宣伝しまくる。電話で問合せても、市場に出ているものは安全と信じているとしか回答できない。つまり、ぼくに「おいしい」と思わせることはもうできない。

 クルマも、トヨタ、日産に乗ってるときはアルファロメオと違って故障を心配せずに乗り心地や性能を楽しむことができます。でも、乗ってるときに「シートの生地の間にプルトニウムの粒が残ってないかな?」と考え始めたら、これは気が気ではないし楽しめない。運転に集中することさえできない。そして、ブランドは論理や科学ではなく感情です。放射性物質をバクバク食べながら笑ってる国民が作る車、怖くないですか?

 これから先、日本の製造業や農業が復活するかどうか。このままでは恐らく無理です。もし復活するとしたら、カギは男前豆腐店のおいしさにしかない。男前豆腐店は僕に「おいしいですよ」なんて説明は一回もしていない。なのに、ふと気づくと「楽しい」「おいしい」という感情を与えてくれる。それがなければ、中国の「殺虫剤入り餃子」と、安さを競うはめに陥ります。

男前豆腐店の豆腐って、普通のスーパーでも売ってて普通の値段だから、とりあえず食べてみれば?
食べるときは、しょうゆも大豆使ってるから気をつけてね。